練習と振り返り ~本の紹介:小澤征爾さんと、音楽について話をする ~

小澤征爾と村上春樹

今年2月に亡くなった小澤征爾さんと村上春樹さんが、クラシック演奏を一緒に聞きながら、1年以上の期間、6回にわたり対談をした内容を村上春樹さん自らが書き起こしたものです(発刊は2011年11月。2012年小林秀雄賞受賞)バーンスタイン、カラヤンなど小澤征爾が巨匠たちと過ごした歳月、ベートーヴェン、ブラームス、マーラーの音楽……。世界のオザワとハルキが一緒に演奏を聴き、歴史的な作曲家や指揮者への思い出や想いを語り合っています。まったくクラシック音楽に詳しくない私ですが、とても興味深く、楽しめました。

 

 

書評((あおやぎ・いづみこ ピアニスト・文筆家 波 2014年7月号より)

あらためて言うまでもないが、音楽は言葉を越えた芸術である。(中略)

ジャズと同じようにクラシックにも精通する村上春樹が小澤征爾と音楽について語りあうようになったのは、2009年12月、小澤が食道ガンを告知されてかららしい。(中略)本書は、6回にわたるトークセッションでの、「心の自然な響き」の記録である。とりわけ、一緒にレコードをききながらの会話がおもしろい。グールドの弾くベートーヴェン「ピアノ協奏曲第三番」でカラヤンとバーンスタインの比較。音楽の方向性について解説する小澤は「ほら、「らあ、らあ、らあ」っていうやつ。そういうのを作っていける人もいるし、作れない人もいる」と語る。カラヤンが前者でバーンスタインが後者らしい。単行本のあとがきで小澤は「あなたのおかげですごい量の想い出がぶりかえした。おまけになんだかわからないけど、すごく正直にコトバが出て来た」と村上に感謝している。(中略)

 

(カラヤンとバーンスタイン)

小説は書けば作品になるが、音楽は作曲しただけでは十分ではなく、演奏されてはじめて作品になる。村上が引き出してくれた小澤の言葉から、読者は音楽が生まれる瞬間を、刻々と変貌していくさまを体験する。そしてまた村上が音楽について語る言葉を通して、ゆらめきとらえがたい神秘の律動を体内に取り込むことができるかもしれない。

練習と振り返り(practice and reflection)~受験勉強と関連して~

この本を紹介したのは、小澤征爾と村上春樹の語り合いがジャズのアドリブセッションにように共鳴して、どんどん新しい思考を創り上げていく様子がとても生き生きと文章にされていたことが清々しい驚きであったからですが、受験生のみなさんへのメッセージは違う所にあります。

 

小澤さんは、稀代の天才指揮者で天賦の才を持って生まれた人ですが、10代は病に見舞われ不遇な時代も過ごしています。23才で単身渡欧し、カラヤンやバーンスタインに師事を受け、私たちの想像を超える努力の結果、東洋人が欧米の著名な交響楽団を指揮することが稀であった1960年代から、60年の長きにわたり世界の第一線で活躍をされた方です。

 

(時事通信WEBより)

 

その小澤さんが村上春樹さんとの対談で数々の演奏を振り返ることで、今まで気づいていなかった、あるいは、自分のものにはしていたけれでも、自覚化(言語化)しきれてはいなかったことを、言葉として発したり考え込んだりしている様子が、”学び”の深さを表現している内容として、みなさんにお伝えしたかったポイントです。

この気づきはクラシック音楽についてはプロではありませんが、クラシック音楽への造詣がとても深く、言語表現の天才である村上春樹さんとの対談だからこそできたことであり、その対談内容を村上春樹さんだから的確に再現できたと思います。

 

 

 

 

学ぶ内容や深さはまったく違いますが、学んでいることを省察(reflection)すること、学ぶ人の省察を喚起する相棒のクオリテイの重要性を、改めて気づかされました。受験生の皆さんには省察の面白さ(新しい気づきへの繋がり)と学びを深める上での省察の重要性を、われわれ指導者は、生徒が省察を深める良きプロフェッショナル・パートナーとなることの責任を感じた内容でした。

 

 

(文責:大井)