We(ウィー)の国、I(アイ)の国 (Tokyo2020 開会式)

東京オリンピックが開幕して10日たちました。

日本選手の快進撃、一流アスリートの競技に心躍らせている方も多いと思います。また、アスリートの挫折、逆境を乗り越える”たゆまなき努力”、周囲からの献身的なサポートなど、そのストーリーに心打たれている方もたくさんいらっしゃると思います。

 

 

コロナ禍での開催。開会式直前のゴタゴタ。さかのぼれば、2013年9月開催誘致時の原発事故への風評問題、開催決定後の国立競技場のコンペやり直し、エンブレムの盗作問題、JOC会長の辞任、オリンピック委員会会長の辞任と、トラブル年表ができそうな経緯です。

 

いろいろな意見がある中で、私が感じていることが、「We(ウィー)の国、I(アイ)の国」です。

 

私たち日本人は、小さな子どもの頃から、「みなさん、一緒に集まってくださ~い」「みんなはどう思う?」と大人から質問されたり、要求されたりします。いつの間にか、集団意識を大切にします。場の雰囲気をよむこと、周囲に迷惑をかけてはいけないと考えること、社会的な生き物である”人間”にとって、とても大切な能力だと思います。東日本大震災の際の、日本人の行動が、驚きと敬意を持って海外で報道されました。

 

 

一方で、個のアイデンティティを大切にする文化の国々(欧米諸国が代表的)では、小さなころから「あなたはどう考えるの?あなたの意見は?」と育てられます。小さな子どもの時から、家でも自分の部屋を与えられて暮らします。

 

どちらの文化、教育が優れているかという話ではありませんが、コロナ禍での生活を考える際、それぞれの特徴が出ています。

 

 

パンデミック下での社会生活の基本は、私権の制限をどうするかが、主要課題だと考えています。

中国や台湾、シンガポール、ベトナムなどのアジア諸国の一部が比較的うまく対応できている背景には、私権制限に関する国家の成り立ち、国民の意識があると思います。

欧米諸国のような、Iの国においては、私権制限が追い付かない中で、自分の信念で行動する人たちが、パンデミック下での社会をむつかしくしている状況がありました(現在はワクチン接種により改善しています)

 

 

日本の場合、私権制限に関する明確な決断がない中で、Weの国の特徴で、何とかやりくりしてきました。パンデミックのような危機に、Weの国の特徴が生かされてきたと思います(ワクチン接種の遅れや、私権制限に関するあいまいさ、コロナ対策に関する総合戦略がないことが問題をむつかしくしており、楽観視できない状況は続いています)

 

 

 

どちらの文化が優れているということではないですが、私は幼い子どもを教育する際には、まず、「あなたのアイデンティティ」を育てることを意識します。自分のことをわかっている人(わかろうとした経験のある人)が、他者のことをわかろうとする方が、自然であり、学びやすいと考えています。アイデンティティが備わっている高校生のみなさんには、個性を理解したうえで、「I」を強調するか「We」を強調するかを考えます。

 

オリンピックでスマホを持ちながら行進してくる国々と、スマホでの自撮り禁止を守る日本、TVでの光景を見て、IとWeのお国柄を微笑ましく感じていました。

(文責:大井)