親ガチャ

親ガチャ

親ガチャ論争が起こっていますね。

 

 

~けしからん、若者の姿勢への批判調。与えられた環境で励め、若者への説教調。嘆かわしい、親の教育に結び付ける論調。格差社会に結び付ける論調。などなど~

 

参考記事

若者言葉

いろいろな世代で、若者言葉はあります。英語では、teen slangと表現します。

 

私の世代(70年代後半が思春期)を代表するものに、”しらける”という言葉や態度がありました。何かに熱中する姿勢への冷めた視線(カッコ悪い)、雰囲気がありました。今思うと、とても恥ずかしいのですが、先生や仲間が熱い話をするときに、「シーっ」という言葉を、生徒が発するのです。先生方は、よく怒らず(もちろん、無茶苦茶怒られたこともありますが)、投げ出さずに接していただいたなあと、心の底から、今は思います。申し訳ありませんでした。

 

若者言葉の変遷

 

若者言葉とは少し離れますが、私の少し上の世代は、「戦争を知らない」を、世代のアイデンティティとして、謳いだした世代です。「戦争を知らない子供たち」(1970年)という歌謡曲がヒットしました(実は、高校の先輩が作詞した曲です)。東京オリンピックが終わり、大阪万博が成功し、高度成長期を謳歌していた時代。一方で、戦争や戦後復興という強烈な経験をした世代と比較される世代。そのアイデンティティの表現だったと思います。現代にも残る(通用する)、また、国境を越えて理解できる、とてもセンスの良さを感じる表現です。

 

若者言葉については、さかのぼると、枕草子にも次の一説があるとのことです。

 

~なに事を言ひても、「そのことさせんとす」「いはんとす」「なにせんとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「いはむずる」「里へいでんずる」など言へば、やがていとわろし。~(枕草子)

 

近代の”ら抜き言葉”と同じですね。

 

 

 

80年代以降も、キモイ、マジ、ウザい、などいろいろありますね。高校生の方からすると、当たり前(あるいは古い言葉)かもしれませんが、おじさん世代には、新鮮な言葉でした。ヤバいに至っては、従来の意味(危険または不都合な様子という否定的なニュアンス)から転換して、肯定的なニュアンス(とても面白い、興味を引く)になりましたね。みなさんも古文を勉強していると、過去と現代の語彙の違いに気づくこともあると思います。

 

心理学や教育学との関係

親ガチャは、心理学でいうと、遺伝と環境という領域にも関係します。遺伝は親によって定められ、環境は親によって(決定はしませんが)左右されます。

 

教育の分野では、出自や貧困などの社会的な環境に関する議論に関係します。教育制度に関しては、機会の平等か結果の平等かという議論があります。機会を与えればいいとして自由競争を貫くことの弊害、経済的な貧困層への特別な配慮や環境整備を社会が用意することの必要性などの議論です。

 

 

親ガチャとは、少し離れますが、人間の能力は、遺伝が決定するのか、環境が決定するのかという議論もあります。科学や教育の分野で、ずっと論争があります。議論や研究は大切ですが、二者択一は不毛な議論です。「どちらともだ」と考えて、生きることだと思っています。

 

若者言葉の感性

親ガチャは、私の第一印象は、なるほど若者言葉だなと思いました。私の世代では創れない言葉だと思います。親としては、子どもに言われると複雑ですが、この言葉を創った人は、造語センスがあると思います。こういう言葉を生み出すことは、思春期世代の感性です。まさに、teen slangです。その意味で、こういう言葉を生み出す人の感性にハッとしました。でも、将来にわたり残る言葉ではないなあとも思っています。

 

 

(文責:大井)